Masuk――それから成南商事での退職手続きも芹澤ホールディングスの入社手続きもすべて無事に完了し、私は初出勤日を迎えた。
「――うん、リップの色はこれでいいか。髪の色もいい感じだし、メイクもバッチリ! 今日から心機一転頑張るぞ!」
朝食と着替えを済ませ、自分の部屋でドレッサーの鏡に向かってメイクをしていた私は、上品なローズピンクのリップを塗ると満足して頷いた。
入社が決まってから、私は新しくスーツやインナーのブラウスを何着か新しく購入し、コスメもちょっといいものにバージョンアップした。新しい靴も買ったし、髪も芹澤ホールディングスの社内規則に引っかからない程度の茶色に染めた。〝高校デビュー〟や〝大学デビュー〟ならぬ〝秘書デビュー〟である。
秘書という仕事は華やかなだけではないけれど、地味すぎてもいけない。少々の華は必要なのではないかと考えた結果がこ――それから成南商事での退職手続きも芹澤ホールディングスの入社手続きもすべて無事に完了し、私は初出勤日を迎えた。「――うん、リップの色はこれでいいか。髪の色もいい感じだし、メイクもバッチリ! 今日から心機一転頑張るぞ!」 朝食と着替えを済ませ、自分の部屋でドレッサーの鏡に向かってメイクをしていた私は、上品なローズピンクのリップを塗ると満足して頷いた。 入社が決まってから、私は新しくスーツやインナーのブラウスを何着か新しく購入し、コスメもちょっといいものにバージョンアップした。新しい靴も買ったし、髪も芹澤ホールディングスの社内規則に引っかからない程度の茶色に染めた。〝高校デビュー〟や〝大学デビュー〟ならぬ〝秘書デビュー〟である。 秘書という仕事は華やかなだけではないけれど、地味すぎてもいけない。少々の華は必要なのではないかと考えた結果がこのイメージチェンジだった。 前の会社ではほとんど着ることのなかったスカートタイプのスーツを着て、インナーの七分袖ブラウスのボタンは二個開けて、控えめに小ぶりなイヤリングもつけた。メイクにも華やかさをプラスして、イメージは「色気もあるシゴデキのキャリアウーマン」という感じだ。これはもちろん、悠巳さんに一人の女性として見られたいがためのイメージチェンジである。「……さあ、行こう!」 マンションを出た私はメトロの新宿駅から丸ノ内線に乗り、赤坂見附で銀座線に乗り換えて虎ノ門に着いた。今日から勤める芹澤ホールディングス本社ビルは、ここからだと徒歩五分くらいの距離にある。 ちょうど通勤ラッシュにぶつかったので電車の中はどちらも混んでいたけれど、今日から新天地で働くというワクワク感からそんなことも苦にならなかった。
――芹澤ホールディング本社のビルを出てすぐにスマートフォンの電源を入れると、悠巳さんの携帯番号から電話がかかってきた。私は嬉しいけれど、面接官の一人が面接終了後すぐに応募者の一人に個人的に連絡していいのだろうか? これって不公平じゃないの?「――はい、緒方です。先ほどはどうも」『藍さん、今日は面接、本当にお疲れさまでした。最後はあんなことになってしまって、君も疲れたろう?』「……はい。それって藤河さんのことですよね? 彼女、今日一体何をしに来たんでしょうね」 私は面接中のあれこれを思い出しながら、うんざりと言った。私も立石さんも真面目に転職活動に励んでいるのに、ああいう応募者が一人でもいると何だか真面目にやっているのがバカバカしく思えてくる。『それは僕も同感だな。こちらの質問にも真面目に答えてくれないし、そもそも本気で転職する気があるのかどうかも疑問だ。小薗さんからの報告によると、前職の父親の会社でも女王さま気取りでいたようだしね』「そうみたいですね。彼女はせいぜい、社会の厳しさってものを身をもって思い知った方がいいんですよ」『ははは、藍さんは辛辣だなぁ。でも君のそういうところ、僕はキライじゃないよ。……それはともかく、藤河さんは今回の面接では不合格にするということで、僕たち面接官四人の意見は一致しているから』「……それ、応募者の一人に個人的に漏らして大丈夫なんですか?」『う~ん、やっぱり……マズいかな? でも今回、最終的な決定権は僕にあるからね
「まずは緒方さん、どうぞ」「はい。――立石さんは面接前に少しお話をさせて頂いたのですが、前職でも秘書という仕事を長く務めていらっしゃったようなので、この仕事が大好きで本当に誇りを持っていらっしゃるんだなと思いました。役職に就いた経験はないそうですが、彼ならきっと秘書課長に昇進しても人望に助けられて立派に務められそうだなという印象を抱いております。この面接においても、彼は私にとってのよきライバルだと思っております。――藤河さんは……、失礼を承知で申し上げますが、秘書どころか社会人としても失格ではないかと。まず目上の方に対しての敬意を感じられない、仕事というものを完全になめ切っている。これまで周囲から甘やかされすぎたのでしょうね。秘書という仕事は華やかなだけではないことくらい、未経験の私にだって分かります。よくそんな浮ついた気持ちで応募してきたなというのが彼女に対する率直な感想です。――失礼致しました」「…………なるほど。緒方さん、あなたは鋭い観察眼をお持ちのようだ。将来的に秘書課を束ねる人材として、それは強みになると思います。若干、毒気が混ざっている点は気になりますが……」 私のことを褒めながらも、悠巳さんが苦笑いしている。……マズい、うっかり〝ブラック藍ちゃん〟が顔を出してしまったみたいだ。「申し訳ございません。ついつい毒舌になってしまうところが私の短所なので……」「自覚があるのなら大丈夫です。これから改善していけばいい。ですが……、あなたのおっしゃったことは間違っていないと僕は思います。管理職経験者として、藤河さんに物申したいお気持ちがあったのでしょ
「――では、前職の退職理由と志望動機を伺います。この度、弊社を受けようと思われた理由は何ですか?」 人事部長さんの質問に、私はチラリと悠巳さんの顔を見る。彼は「本当のことをそのまま言えばいい」とメッセージを下さったけれど、本当にそれでいいのかと。彼が小さく頷いたので、私はありのままを話すことにした。「まずは緒方さん、どうぞ」「はい。……私が前職を退職したのは、私自身のメンタルを守るためでした」「……とおっしゃいますと?」「実は少々、個人的なトラブルがございまして、会社に居づらくなったのですが。そんな時に、御社の悠巳副社長からお声をかけて頂いたんです。『つらいのなら、思い切って転職するのもひとつの手なのではないか』と。そして、『副社長の第二秘書が退職して欠員が出たので応募してみないか』と。正直申しますと待遇も申し分なかったですし、これまでのキャリアを捨ててでもぜひ受けたいと思い、応募致しました。悠巳副社長のご恩に報いるために」 トラブルの内容は、ここでは話す必要がないだろう。必要なのは、悠巳さんが直接この採用面接を勧めて下さったという事実だけなのだから。「……なるほど。では、副社長のツテで受けることにしたと、そういう解釈でよろしいですか?」 秘書課長から少し意地悪な質問が飛んできたけれど、これは私がこういう質問にも冷静に答えられるかどうかが見られているのだと私は分かっている。ここで逆上したら私の負けだ。「いえ、違います。私はこのお話をお断りすることもできました。ですが、御社を受けようと決めたのは私の意思ですので、それはツテということにはならないと私は考えております」「あなたの強い意思、理解しました。緒方さん、ありがとうございます。では次に立石さん、お願いします」「わたくしは前職で人員整理がございまして、早期退職を致しました。つまりは会社都合による退職……ということになりますかね。わたくしに落ち度はございませんでした。会社の規模を縮小するとのことでしたので……」 ……うーん、会社都合での退職ってなかなか言いづらいだろうな。本人に悪いところがなくても、人件費削減のために早期退職させられたりとか。立石さんも不本意だっただろうなと思う。「はい、退職理由は理解しました。では、弊社に応募された理由を話して頂けますか?」「転職サイトで拝見致しま
「……だって、わたしたち三人は同じ応募者っていう立場でしょ? だったら対等だから敬語は必要ないと思って」「藤河さん、そういう問題ではないと思うのですが……」 立石さんの意見に私も同感で、何だかちょっと頭が痛くなってきた。このお嬢さま、相当周りから甘やかされて育ってきたらしい。社会人経験もあるというのにこれって……、秘書以前に社会人としてどうなの? というレベルである。「あのねぇ、藤河さん。目上の人には最低限、敬語を使う。それが一般常識だって今まで習ってこなかったの? そもそも、あなた年齢はいくつ?」「え? 二十七だけど。だって今まで、周りの人たちがわたしに敬意を払って当たり前だと思ってきたから。パパの会社でもそうだったし」「二十七歳って……、私と同い年じゃない。あなた本当に、この会社で秘書になる気あるの? っていうか採用面接をナメてない?」 二十七で父親を「パパ」って……。別に悪くはない。悪くはない……けれど、彼女はそれを面接でも言うつもりなのだろうか? 私は怒りを通り越して呆れてきた。「私ね、前の会社ではこの若さで次長まで務めたの。だから、言うことがちょっと説教臭くなったらごめんなさい。でもね、藤河さん。あなたその調子じゃ今回の面接どころかどこの会社を受けてもダメだと思う。まずは一般常識を身に着けるところから始めなきゃ」「…………はい。でも、今日の面接は受けて帰ります。じゃないとわたし、今日この会社に来た意味がないから」
「――おはようございます。本日、副社長秘書の面接を受けに参りました緒方藍です。よろしくお願い致します」 第二会議室の前まで行くと、案内係と思しき一人の女性がそこに立っていらっしゃったので、私は丁寧に挨拶をした。年齢は三十代後半か四十代くらい。ビシッとしたスカートのスーツを着ていて背筋がピンと伸び、いかにも優秀な秘書という印象を受ける。もしかしてこの人、秘書課の偉い人なのだろうか? だとしたら、入社後は私の上司になる人ということだ。「おはようございます。私、現在秘書課の主任をしております、小薗麻由美と申します。本日の面接の案内役を務めますのでよろしくお願いします。――では、まず応募書類をお預かりしますね」「はい、こちらです」 書類を折り曲げずに入れてきた大判の封筒をバッグから取り出し、小薗さんに両手で差し出す。「ありがとう。他の二名の応募者もじきに来るでしょう。お呼びするまでそちらの椅子にかけてお待ち下さい」「かしこまりました」 私は会議室前の広い廊下に三脚並べられたパイプ椅子の一番手前の一脚に腰を下ろした。スマートフォンの電源は、この会社のビルへ入る前に切ってある。その前に、電車に乗る前からマナーモードに設定してあったけれど。「――おはようございます。あの……、あなたも今回の応募者ですか